「嫌いになったわけじゃないんだ」
立ち尽くす私に、彼は言った。うつむいたまま顔を上げられないでいる臆病な私は、彼がどんな表情をしているのか見ることはできなかったが、たぶん優しい彼のことだ。すごく済まなそうにしているのだろう。さんざん迷って出した答えだということは、解かっていた。
最近の彼は、私と一緒にいてもうわの空だった。私を越えて、さらにどこか遠くを見つめていた。
私はいつかこんな日が来ることも、なんとく感じていて心構えはばっちりしていたつもりだった。けれど、涙はそんなことお構いなしに流れてくるものらしい。これでは、きっと彼が困ってしまう。
「ごめん! 本当にごめん……」
「私の方こそ、ごめんなさい。なんとなくわかってたんだ。泣くつもりなんてなかったんだけどね」
私は笑って言った。彼は辛そうな顔をした。逆効果みたいだった。けれど、私にもどうすれば良いのか解からないのだ。恋愛は、始めるのも、その最中も難しいけれど、最後が一番難しい。
私にとって、彼は初めての彼氏。だから、別れの辛さを身をもって教えてくれた彼は偉大だ。最初から最後まで優しくて、私がちょっと怒ったような素振りを見せると、しゅんとして顔色をうかがってくる。そんな彼がたまらなく愛しい。だからこそ、彼の決めたことに口を出すような真似はしたくなかった。
こうなれば、素敵な彼女として彼の後押しをしよう、なんて考える。そうしたら、いつの日か彼は友人に自慢するんだ。
『昔付き合ってた彼女は優しくて素敵な人で、言ってみれば女性の鏡のような人だったのさ』
なんてね。それは、すごく壮大で素敵な計画だ。
「本当に大丈夫だからさ! 頑張ってよ。私のことはいいから、ね?」
「……ごめん」
「もう! いい加減にしないと怒るわよ。ほらほら、夜中に乙女の家に押しかけるなんて絶対しちゃいけないんだからね! 彼女ならまだしも、さ」
だめだ。私はもう彼女じゃない。今、自分で言った言葉に涙が溢れて止まらない。どうして彼の背中を後押しする優しい女になれないのだろう……壮大な計画もぶち壊しだ。
「……あのさ、最後までわがままで本当にごめん。ちょっとでいいから、抱きしめてくれる?」
彼は何も言わず、あっという間に私の願いを聞き入れてくれた。背中にまわった彼の手。こんなに大きかったかな。今まで当たり前すぎて、こんな風に改めて感じたことなんてなかった。
「ありがとう」
私はそう言って、彼から離れた。もう涙は止まっている。すると、今度は彼が泣いていた。感染してしまったみたいだ。面白い。
「男のくせに女々しいわよ! ほら、早く行かないと終電なくなっちゃう」
「……そうだな。ごめん」
彼は謝った。とても済まなそうに。そして、私の大好きな笑顔で言った。
「ありがとう」
私が彼を愛した証は、涙と一緒に流してしまおう。けれど、彼が私を愛してくれた証は、もう少しこのままで。
愛した証
(もう少しだけ、彼のくれた愛を感じさせて。)