「考えられる答えは二つあるわ」
彼女はゆっくりと瞬きをした。対して、俺は訳が解らず自然と首を傾げた。
「ふたつ?」
「ええ。それが君にとって思い出したくもないような、ひどく嫌悪する事柄である。もしくは……」
俺は毎日同じ夢を見る。
それは、都会の喧騒を幼い俺がひとりでさ迷っているところから始まる。辺りは大人たちが忙しなく行き交っていて、空を見上げても、そこにあるのは灰色の高層ビル群。幼い俺は泣きじゃくって立ち尽くしているのだが、振り返る者はいない。そのうち、幼い俺は泣くのを止める。とにかく何かを求めて、また零れそうになる涙を必死に堪えて、都会の喧騒を歩き続ける。すると、世界は一転する。辺りは心地良い風の吹き抜ける原っぱに変わるのだ。幼い俺は少し先に小さな家を見つけ、吸い寄せられるように近付く。いつの間にか、駆け出す。家の前には人がいて、ふとその人に会いたかったのだと気付いてさらに駆ける。辿り着く。しかし、その人を見上げた瞬間、そこで夢は途切れるのだった。
たぶん男だろうという確信はあるのだが、顔は全く思い出せなかった。けれど、何故だかその人のことを思うと、懐かしくて仕方がないのだった。
何というわけもなくこの話をしたら、その人の顔を思い出せないことについて、彼女はこう言った。
「それが君にとって思い出したくもないような、ひどく嫌悪する事柄である。もしくは……」
彼女は、何故かそこで寸の間逡巡したが、続けた。
「もしくは、それが君にとって、とても大切な事柄だからよ」
「大切……」
俺は虚を衝かれた。前者の意見はともかく、後者については考えてもみなかったからだ。
「それってどういうこと」
聞くと、彼女はころころと笑った。そんなことも解らないのかと、俺を子供扱いしていることは直ぐに解った。彼女はいつもこうなのだ。
「笑ってないで教えろよ」
「あら、口の効き方がなってないわね、坊や」
「坊やとか言うな」
言ってから、こうやって直ぐに反抗するから子供扱いされるのだと気付いた。俺はぐっと口を引き結んで、今度から気を付けようと内心で決めた。
「……どういうことか教えて下さい」
渋々ながらもう一度丁寧に解答を促すと、彼女はひとつ頷いた。
「大切なものは守りたいと思うでしょう。傷つけたくない、壊したくない。だから忘れてしまうの。守るために、忘れてしまうのよ。君も、そうみたいね」
俺は首を傾げた。
「だって、ね?」
彼女は俺の目元に手をやって、いつの間にか溢れ出していた滴をすくった。
「あ……」
そっか。大切だから、思い出せないのか。
俺はそれに妙に納得して、だからなのか涙は止まる気配がなかった。
「無理して思い出そうとしなくても良いんじゃないかしら。今は大切に仕舞っておきなさい。いつか、君がそれを受け止められるようになったときに、守れるようになったときに、きっと思い出せるわ」
漠然と、でも確実に、そうかもしれないと思った。
俺はゆっくりと静かに頷いた。
忘却ロゴス
(いつか、その日が来ることを願って。)