江戸は神田の平屋のひとつ。時は戌を回って少しした頃合に、なにやら争い事をしているらしい声が響いておりました。宵闇を哭くような、黄色い女の声がきいきいと喚いたかと思えば、がしゃンガラガラ、鍋でも投げたのでしょうか、なにかが壁に当たって崩れる音。続いて男の野太い声に、また女のきいきい声が喰ってかかっているようです。
それを聞きつけた、隣のご主人。何事かと戸を叩いたけれども、返事がない。代わりに、どどンバッタン、先より大きな音が聞こえたものだから、堪らなくなって戸を引いた。すると、旋はかかっておらずズズッと戸が開いたので、隣のご主人はすぐさま内に飛び込んだ。
「なんだいなんだい、お前さんたち。いったいどうしたってんだい」
隣のご主人が声をかけますと、これまた大層ひどい格好のおかみさん、着物が肌蹴ているのも気にとめず、きいきいと訳の分からぬことを喚き散らす。その勢いに、ついには結い上げていた髪から簪まで抜け落ちて、艶っぽい黒髪がぼたぼたと背に落ちた。
「言いがかりも大概にしておくれよ!」
「お前こそ、正直に言えってんだい!」
どうやら話を聞いておりますと、籠を担いで江戸中を走り回って、そりゃあもう疲れて帰って来たこちらのご亭主。ふと見た先に、見たこともない男物の煙管が落ちているのを見つけたらしい。最近どうも怪しいと思っていたのだけれども、それを証拠に、ご亭主はおかみさんを問い詰めた。
「お前さん、他の男と密通してるんだろう」
「まさか!」
「じゃあ、この煙管はなんだってんだい」
「そんなもの、あたしゃ知らないね」
「なにを!」
「や、やめておくれよ!」
ついに怒り出したご亭主がおかみさんに掴みかかったものだから、隣のご主人もこりゃいけねえ、と必死に止めに入った。するとおかみさん、必死な様子で隣のご主人にすがってこう言った。
「ねぇ、あんた。この人に言ってやっておくれよ! あたしが密通なんてしてないってことをさあ!」
隣のご主人、ついっと自分の顎をひと撫でして考えた。
「そりゃあ誤解だよ」
「ほらみなよ、あんた!」
勝ち誇ったように言うおかみさんに、ご亭主はぐっと眉をひそめて、それから隣のご主人をじっと見る。
「だって、このおかみさん。みっつうよっつう日常茶飯事! あたりまえさね!」
なんと驚いたのは、ご亭主よりおかみさん。口をあんぐり開けて、石のように動かない。ご亭主は、だんだんと顔を真っ赤にしておかみさんに詰め寄った。
「こいつう! どういうことだ!」
そして隣のご主人、カッカッカッと笑いながら二人を残して去って行った。
なんとまあ、こちらのご夫婦よりもお騒がせな隣のご主人でありました。
密通
(あのおかみさん、真っ昼間から毎日違う男を連れこんでるくせに、よく言うねえ。)
(そりゃあもう、なんだかすがすがしくなって、隣のご主人は夜道を闊歩しておりましたとさ。)