噴水がアーチを作っている。
 この公園では、一時間毎に水が噴き上がる仕組みになっていた。
 いったい何度この景色を眺めただろう……。
 同じことを思ったのか、隣に座っている香菜子が長嘆した。
「どうした」
 視線を水のアーチにやったまま聞いた。
「なんでもない」
 香菜子が言う。
 先刻から、この問答の繰り返しだった。
 香菜子が何と無しに肩を落とす。ため息をつく。視線をさ迷わせる。その度に僕は声をかけるのだが、香菜子は「なんでもない」の一点張りだ。
 香菜子のそれはよくあることだった。そんな態度には慣れていたが、焦れったくないと言えば嘘になる。けれど、急かしたところで止むを得ないことも重々承知しているわけで。僕はひたすら待つしかないのだった。
「……ごめん」
 何か言い出したかと思えば、香菜子のそれはとても投げやりだった。
「なにが」
「いろいろ」
「『いろいろ』じゃわかんないよ」
「……うん、ごめん。やっぱいいや」
 今度は僕が長嘆する番だった。いつもこうなのだ。僕からすれば、ちっとも良くない。
「結局それ?」
「だって……」
 仕方ないじゃん、と香菜子は口ごもった。
 なにが仕方ないのか、さっぱり解らない。けれど、香菜子の真意はなんとなく解っていた。
 だいたい、香菜子は至極わかりやすい性格をしていた。喜怒哀楽は激しいし、それが目に見えて態度や表情に出るものだから、知るつもりがなくとも解ってしまったりする。
「先延ばしにしてると言えなくなるよ」
「でも、だって……言えないよ! そんな簡単に」
「どうせ明日だって一週間後だって言えないんだから、今言いなさい」
「そんなことない!」
「いーや、絶対言えないね。断言できる。今言いなさい」
「でも……」
「『でも』じゃない」
「だっ」
「『だって』じゃない」
「えー、うーん……言わなきゃダメだよ、ね?」
「ダメ」
 香菜子はうつむいて逡巡を続ける。どうしても決心がつかないらしかった。
「今言わないなら、もう聞かないからな」
「えっ、え、えー……ちょっと待ってよ!」
「早く言えって」
 引いて見守っても意味がないようなので、僕は押してみることにする。引いてダメなら押してみろ、というやつだ。普通は逆だけれど。
「わ、わかった! 今から言うからね!」
 香菜子は深呼吸した。そして僕へ向き直る。
「あ、あのね……」
 やっとか。そう思うのと同時に、緊張が全身をめぐった。話すように促したのは僕自身だというのに。
「私ね、ずっと……」
 香菜子はぽつりぽつりと話す。
「………………やっぱ無理!」
「おい!」
 僕は思わずつっこんだ。ここまできて、それは有りなのか。いや、無しだろう。
「なんなんだよ」
「だって……無理だよ。ダメだよ」
「なにが?」
 香菜子はうつむいていて、その表情は見えなかった。けれど、たぶん今にも泣き出してしまいそうな顔をしていることは、容易に想像できた。
「無理なんだもん。ダメなんだもん」
 香菜子は繰り返す。
 なにが言いたいのか解らないでもなかったが、僕が言っても仕方ない。
「ごめんなさい」
「別に謝って欲しいわけじゃないよ。ただ香菜子の話が聞きたいだけ」
「……うん」
 香菜子はそのまま黙ってしまった。だんだん、僕のほうがいた堪れない気になった。
「わかった! ごめん」
「え?」
「いいよ無理して言わなくても」
 僕は腰掛けていたベンチを離れた。次いで香菜子も立ち上がった。
「待って! ちょっと待って!」
 香菜子は真っ直ぐ僕を見ていた。思った通り、今にも泣き出してしまいそうな面持ちだった。
「……迷惑じゃない?」
「なにが」
「だから、その……全部! この状況も、今までのことも、これからのことも」
「これからのことなんて、まだわからないよ」
「うそ! わかってるくせに」
 僕は肩をすくめて見せた。たぶんわかっているけれど、わからないというのも嘘ではないのだ。
「なにが良くて、なにが悪いのかわからないの……全部迷惑になる気がして、考えだすと止まらなくて、悪いほうにしか考えられなくて、だから……」
「だから?」
「なかなか言えなくて……ごめん、ただの言い訳だね。ちょっと待って」
 香菜子はまた深呼吸をした。そして一歩踏み出したかと思うと、それは駆け足で、気づけば僕の傍にいた。
「すき」
「うん」
「え?」
「なに?」
「……なんでもない」
 僕は再びベンチに腰掛けた。香菜子も隣に座って、ちらりと僕に横目を向けた。
「あの、返事は?」
「わかんないの?」
「わかんないよ!」
「それは残念」
「ちょっと!」
 ごまかさないでと騒ぐ彼女を余所に、僕は空を見上げた。
 噴水がアーチを作っていた。
 もう一時間たったのかと時計を見れば、それは間違いで、どうやら二時間が経過しているらしかった。
 まったく香菜子の一言を聞くために、長時間公園に居座ってしまった。
「ねえ、ちょっと!」
 うるさいなあ、なんてもちろん口には出さず内心に留めて、僕は香菜子の頭を撫でる。
「はいはい、好きだよ」
「…………」
 香菜子は押し黙った、否、口がきけなかったともいう。
 そんな様子の香菜子が面白くてしばらく眺めてから、僕は香菜子の手を引いて歩き出した。香菜子は何も言わずについて来る。
 まったく手がかかるなあ、なんて子供を持つ親みたいなことを思って、まあそんなところが可愛いかったりするんだけど、などと思い直す。一歩後ろを歩く香菜子に視線をやると、それが交錯した瞬間、香菜子はさっと目背けた。
 大丈夫か、こんな調子で……。
 これからなんて、やっぱりどうなるかわからないけれど、なるようになるだろうなんて楽観的だろうか。
 でも、そんな風に思えるのは、香菜子が相手だからだろうなと、少し遠くなった噴水を振り返って思った。






思い煩い